この記事では頂いたエピソード「時代の移り変わりのはやさを示す:ブラザーCPS4204の思い出」をご紹介しています。
時代の移り変わりのはやさを示す:ブラザーCPS4204の思い出
インタビュー対象者はインタビュアーの母です。また、ミシンのメーカー、番号は「ブラザー、CPS4204」です。
ミシンを入手した経緯、支払方法
私が今持っているミシンを買ったのは、娘が中学2年生になった秋、2013年のことでした。
近くのショッピングモールの中にあるスーパーの一角で、ミシンのセールをしていた時、ちょうどよいと思い、後日、出直して現金で購入しました。
そのミシンはシンプルな機能だけのものですが、たいしたものを作るわけでもないので、それで十分でした。実際、今まで、基本的な機能しか使ったことはありません。
ミシンをどのように使ったか
娘の学校では夏の体育祭の時、学年ごとに衣装を作って皆でパフォーマンスをするのです。
中学2年から高校3年まで毎年、計5枚の衣装を作りました。
6月に体育祭があるので、ゴールデンウィークの一日を潰して、一生懸命作りました。布地とごく簡単な衣装の作りかたを書いた冊子を娘が学校からもらってくるので、それを見ながら作るのです。
衣装の作り方やデザインは担当のお子さんたちが何ヶ月も前から考えて計画していました。娘と同学年のお子さんたちが作り上げた冊子です。
こどもなので、十分わかりやすいものではありませんが、一生懸命工夫している様子が読み取れ、この冊子を作るのは大変だっただろうといつも思っていました。
作製に関しては、他の保護者の方たちはいろいろで、ご自身でつくられているかたもいましたが、お裁縫の上手な方に頼まれたり、業者に頼まれたりする方も多かったように思います。
私は、とくにミシンがけがうまいわけではありません。他の家事もあり、ミシン掛けだけをすればいいというわけにはいきませんから、衣装の仕上がりも丁寧にできたわけではありませんでした。それでも、絶対他には頼むまいと思っていました。
手間暇を考えたら、頼んだ方が効率のよいことはわかっていたのですが、そうしたかったのです。
その理由は明確にはわかりませんが、私の母は全体に家事が苦手で、裁縫などしているところをあまり見たことがありませんでした。
こども心にそれは何か寂しいことだったからなのかもしれません。
こどものころのミシンの思い出
それでもこどもの時、家にはミシンがありました。
足踏み式のレトロなミシンでした。
その時はミシンといえば、その足踏み式だったと思います。
母はミシン掛けなどしないので、ミシンはこどもたちのおもちゃでした。机のようになっている台にはミシンが入っていたように記憶してます。
中からミシンを持ち上げて台の上にすえて固定して使うのです。記憶がおぼろげなので間違いかもしれませんが。足踏みの部分は金属製でリズムをつけて踏んでいると面白く、よく遊んでいました。
後で思い返すとそのミシンは母の嫁入り道具の一つだったと思われるのです。
母は1959年に結婚したので、多分その頃はミシンを嫁入り道具としてもたせるのが、流行っていたのかもしれません。とても母がミシンをねだったとは考えづらいのです。
多分、母方の祖父母が気を使ったのでしょう。母方の祖母は商売をしていました。
当時は高校卒業後、洋裁学校に行くのが流行っていたようですが、「これからは洋裁なんて流行らないから、上の学校に行きなさい」と言っていたようで、母はそんなに勉強が好きでもなかったのに地元の短大に進学したのです。
そんな祖母が流行りでミシンをもたせるのも不思議な感じがしますが、私もこどもを持って、その当時の祖母の気持ちがわかるような気もするのです。
また父方の祖母はきちんとした人でしたが、ミシン掛けをするような家庭的な人ではなかったと思います。父方の祖母がミシンを使っているのをみたことがありません。父方の祖母も家のことをするより、商売をする方が好きだったと思います。
そういうわけで、ミシンは家の中でとくに使われることもなく、結構場所もとるので邪魔者のように端っこに置かれていました。
私がこどもの頃は、町の大通りに面した所にシンガーかブラザーのミシンの店がありました。ウィンドウの中にミシンがいくつかおいてあるのです。
そんなにお客さんがいるわけでもないし、どうやって商売してるのか不思議でした。
私は、母が裁縫などしないので、ずっと既製品の服でしたが、物心ついたときは、周りも手作りの服を着ている子供はそんなにいなかったのではないかと思います。ミシンの店もいつの間にかなくなってしまいました。
「ミシンも売れなくなったからね」みたいなことを母が言っていた様な記憶があります。
家のミシンを実際に使用したのは、私が多分中学2年生の時です。
ミシンの使い方は学校の家庭科の時間に教わりました。家庭で教わったことはありません。お裁縫は祖母が少しみてくれた記憶があります。
孫の中で手芸を好むのは私だけだったので、二人っきりでした。小学校でもミシンの使い方を教わったような気がするのですが、記憶が曖昧ではっきりしません。
もう随分前のことですから。ただ中学生で服を作ったのははっきり憶えています。作ったのは、花柄のブラウスです。授業中に作りました。
長袖で衿も付けました。NHKの朝ドラ「まんぷく」でオープニングの歌の時、主人公が着ていたようなブラウスです。作りましたが、それだけでした。
その当時でも、デザイン的に古臭い感じがして、一緒に作った同級生も多分着ていなかったと思います。
夏の課題では、黄色のワンピースも作りました。パフスリーブでフレアーのレースのものです。ガタがきている家のミシンで何とか課題を仕上げてほっとしたのを覚えています。作っている最中、ミシンがもう壊れるのではないかといつも思っていました。
今、思い返すと、学校で教わっただけで、中学生のこどもがよく作ったなと思います。ものすごく、苦労した思い出です。
母にはアドバイスを求めることはありませんでした。母は気の良い優しい人で、叱られたり怒鳴られたりしたことはないのですが、物を教えたりすることもあまりありませんでした。
その当時は思春期ですし、母親としてどうなの?と思うこともありましたが、今、自身が当時の母の年齢をはるかに越えるとまた違う思いを持つようになります。
その当時の学校の家庭科教室のミシンは足踏み式のものと電動式のものがあったような気がします。
私は、実は電動式のミシンを大人になるまで使ったことはありません。授業の一貫で触ったことぐらいはあったかなというくらいです。
お友達の器用なひとが電動ミシンを使い、課題を音を立てて勢いよく作っていたのも、今、思い出しました。他の同級生たちも足踏み式の方を好んでいたような気がします。まあ、単に学校には電動式のミシンの数が少なかっただけかもしれませんが。
その後、高校、大学、社会人の間はミシンに触ることはありませんでした。必要がなかったからです。
実家の足踏み式ミシンは、知らないうちに捨てられていましたが、気に留めることもありませんでした。
最近、あのタイプのミシンがレトロな感じでオブジェとして人気がでているというテレビをみて、ちょっと驚きました。
そういえば、実家のミシンもぼろかったですが、確かに家には似つかわしくない少しハイカラな感じはありました。
大人になってからのミシンの思い出
再びミシンを手にいれたのは、結婚し、上のこどもがうまれてからです。
親戚のひとが、いらない電動ミシンがあるというのでもらうことにしました。こどもに手作りの物を作るかもしれないと思ったからです。
幼稚園のグッズはできるだけ作ってみました。専業主婦でしたが、こどもたちの世話と家事で疲れていて、なかなか時間が取れません。
はっきりいって、既製品の方がよっぽど上手くできています。
途中から、こどもが喜びそうなキャラクターの既製品で間に合わせていました。ミシンは捨てる寸前だったこともあり、上手く動かなかったのです。
その後は、カーテンの裾直しをするなど、ちょこちょこと使うことはありましたが、それだけです。このミシンも滅多に使うことはなくなりました。
今、家にあるのは、2013年に購入したミシンです。新しい自分のミシンを初めて購入しました。
それまでのミシンはもう限界が来ていて、その年の体育祭の衣装はとりあえず作れましたが、ミシンがスムーズに動かずとても時間がかかってしまいました。来年以降はこれでは衣装は作れないと思ったのです。
娘が高校を卒業したので、本当にミシンを触ることはなくなりました。
私も母や祖母たちとおなじく、他のことをしているほうが好きです。
これからはもうミシンを新しく購入することはありません。
インタビュアーの感想
インタビューを通じて、母のミシンに関する思い出を知ったわけですが、インタビュアーの記憶にとくに印象深く残っているエピソードが3点あります。
1点目は、昔のミシンが「足踏式ミシン」だったというエピソードです。
ただでさえ現代の若者にとってミシンは縁のないものとなっているので、足踏式ミシンを想像することができませんでした。
それに加えて、ミシンが遊び道具になっている、というのにも驚きです。今では考えられないようなことが、数十年ぐらい、という本当にちょっとした昔には現実で当たり前だったということが、どこか不思議に感じます。
2点目は、「町の大通りにミシンの専門店があった」というエピソードです。
このエピソードも現代では信じられないことです。現代の携帯ショップのような感じでしょうか。
もしそうであるならば、数十年後には町の大通りから携帯ショップがなくなるかもしれません。時の流れの早さ、時代の移り変わりの早さを痛感せざるを得ないエピソードだと思います。
3点目は、「ミシンは嫁入り道具だった」というエピソードです。
現代でこれをしてしまうと、嫁ぎ先から怒られるか呆れられるかのどちらかだと思います。
現代の若者は自分で物をつくる、ということをせず、すぐに既製品に手を出すので、それこそ裁縫をするのが趣味という人でないと、ミシンはただただ邪魔になってしまうからです。
インタビュー全体を通じて感じたことは、昔と今の常識の間に大きなずれがある、ということでした。
時代の移り変わりの早さをインタビューを通じて感じるとともに、昔は身近な存在であっただろうミシンが、今は触れられることすら滅多にないという事実にどこかもの悲しさを感じました。
時代が移り変わり、世の中がどんどん発達し便利になっていくのは良い事ですが、時には前だけを見続けるのではなく、古き良き時代の事柄を生活に取り入れた方が、より私達の生活というものは豊になっていくのではないか、とインタビュアーは考えました。
ブラザーCPS4204の思い出はこちらもご覧ください。
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