ミシンのエピソード「中学卒業後に裁縫店を開業」をご紹介しています。
ミシンのメーカーと機種は上海缝纫机三厂(上海ミシン第3工場)、蜜蜂牌缝纫机(ミツバチ・ミシン)です。
ミシンの所有者は叔父さんの奥さんで、1998年に購入しました。
ミシンの用途
撮ったミシンの写真は叔父さんの奥さんが購入し、使ってるのもである。
中学校の時、制服が破れたときに直してくれたとか、お母さんのズボンが穴を開けたときも直してくれた。
親戚なのでお金はいらないと言われたが、自分の店もあった。ズボンの長さや太さとか、改装することができるので、仕事としてお金を貯めた。
自分の中学校の制服は中学校三年生になったときに体がでかくなったので、サイズを変えてくれた。今でも使っている。
ミシンを習った場所
おばさんとぼく通った中学校が同じであった。大連市107中学校であった。
1983年に中学校一年制に学びました。ミシンのことを学んだでけではなくて、普通の学校と一緒で、数学や国文などを学びながら、ミシンも学んだ。その時のミシンは学校のものであった。
卒業してから、おばさんは自分のミシン買った。高校には入らなくて、中学校を終えたら、学校の隣に店を作った。学生たちのに服を直したりしました。今は店もなくなった。
ミシンに対する思い入れ
おばさんにミシンを学んだ理由を聞いた。
最初にはお店を作る動機がなかった。ただの将来に一つの技術を身につけるだけだった。
そのときには、そんなに裕福の家庭ではなかったので、最後には店を作って、お金を手に入れたのだ。
ミシンを使わなくなった経緯や今の使い道
今はお店がないけど、お母さん服とか、親戚のズボンのサイズを変えるので、今まででも使っている。
村に住んでいるので、農業などをやるし、新しい服を着ない。古い服が破れてても、おばさんが直して、まだまだ使えるのだ。ファスナーを服につけることもできる。
コメント 感想や質問をお寄せください♪
“蜜蜂牌”のミシンといったら中国のお話しでしょうか。私は中学まで中国で生活してました、この記事を読むと昔の記憶が蘇ります(^^) よく足踏みミシン一台を置いて洋服のお直しや修理だけですごくお金持ちになった人がいると聞きました。私は聞いたのは80年代と90年代の話です。しかし日本と違って、おそらく今でも儲かる商売ではないでしょうか。
そうです。中国人留学生が教えてくれました。胡蝶牌(蝴蝶牌)や蜜蜂牌が有名だそうです。中国は不思議で、浙江省あたりでは10年前でも服の修理屋さんがありましたし、雲南省なんて今でもあちこちで確認できます。ミシンと修理がセットになって仕事として成立していることに驚きます。生命力がありますね。