アパレル工場のミシンの設置傾向からわかる生産工程

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私が調査してきた藤本家所蔵の「裁縫機調査登録書」から、どこにどのミシンが設置されたかを丁寧にみていきますと、次のような傾向や生産工程がわかってきます。

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アパレル工場に設置するミシンの傾向からわかる生産工程

次の表は「裁縫機調査登録書」から場所と機種とを区別して、設置年順に並べ直したものです。

場所別・機種別ミシン設置年(1940年)

自家他家不明合計
44-1310371-131小計44-13103小計44-13
1914年111
1921年224157
1930年1121124
1932年555
1934年4155
1935年222
1936年314226
1937年3144
不明1156
合計6111922426540

出典 藤本家文書「裁縫機調査登録書」。

この表のミシンはすべてシンガー社製のものです。自家に増設されたミシン9台に対し、他家に設置されたミシンは26台です(不明分5台を除く)。

他家には1921年に5台が設置され、1930年代になるとほぼ毎年2~5台が設置されていきました。ミシンの設置された他家は21軒を数えます。このうち5軒には2台、残る16軒には1台ずつのミシンが設置されました。

1920年代・1930年代藤本仕立店が委託生産を拡大させたことがはっきりわかます。

1914年の「棚卸」には「諸器械」費用として150円が記載され、同店が新品1台と中古3台のミシンを「シンガーミシン会社」から購入したことが記されています。

機種別にみましょう。

33台が44-13型です。これは、自家にも他家にも設置されています。

そして、103種は1921年に他家へ1台が、1930年には自家・他家ともに1台が、1934年・1937年に他家へ1台が設置されました。

表には記しませんでしたが、これらミシンの動力は、自家のみに設置された71-1種と31種が電動式です。自家および他家の両方に設置された機種はいずれも足踏・手廻兼用でした。

まず、自家と他家の両方へ設置された機種の役割をみましょう。44-13種は広く普通ミシンと呼ばれもので「一般織地裁縫用」、すなわち衣料品全般の縫製に向いていました。

出典 蓮田重義編『工業用ミシン総合カタログ』工業ミシン新報社、1958年、25頁。/シンガー製造会社編『諸製造所用裁縫機械目録表』南中社、1901年。

足踏式・手廻式兼用103種は「夏服類及各種薄物製造に最適」です。主にシャツやズボン下に利用されたと考えられます。

出典 蓮田『工業用ミシン総合カタログ』135頁。

藤本家文書「仕事数控帳」には1900年頃に藤本仕立店から受託生産を行なっていた受託者の製造品目、金銭、月日が記されており、これによると西尾は、シャツ、パッチ、又(股)、脚絆を製造していました。これらの品目が同店でも製造されていた点はいうまでもありません。

次いで、同店のみに設置されたミシン、電動式31種と電動式71-1型を確認します。

31種は、種別によって厚物縫、靴皮縫、二本針ひだ取機など多様ですが、先述した「棚卸」では31-k20型が確認されます。

これは「一般裁縫用ミシントシテ広ク用ヒラル」「洋服,足袋,天幕等木綿及ビ毛織厚物縫ニ適ス」ミシンです。「44-13ト同種同作用ナレドモ稍大型」で、「縫床広ク大物縫トシテ用ヒラ」れました。

出典 砂田亀男編『特殊ミシンカタログ全集』日本ミシン商工通信社、1936年、41頁。/砂田編『特殊ミシンカタログ全集』41頁。

なお、31-K20型は31-20型と同一機種です。

機種に見られる「K」の有無について、「K」が付記された機種はスコットランドのクライドバンクにあったシンガー社キルヴォービー(Kilbowie)工場製、付記されない機種はニュー・ジャージー州エリザベースポート(Elizabethport)工場製と考えられます。

71型も多様ですが、ほとんど全ての機種が穴かがり用ミシンです。これはボタン穴を作成し縁縫を行なう特殊な種類です。

藤本仕立店に設置された71-1型は「シヤツ釦穴カガリ機」で、「両端に長き閂を有す、穴の大きさは1/4”より1”の長さに自由に調節をなし得、縫了すると同時に自動停止、上よりナイフは下り自動的にボタン穴をあける」。

かがり縫が終わると、予定された穴に生地が送られナイフが降りてボタン穴を開ける仕組みです。

出典 蓮田『工業用ミシン総合カタログ』48・49頁。/砂田編『特殊ミシンカタログ全集』133頁;蓮田『工業用ミシン総合カタログ』128頁。/蓮田『工業用ミシン総合カタログ』128頁。

以上の確認から、自家・他家ともに設置されたミシンは、厚さが普通か薄い生地用、そして自家のみに設置されたミシンは厚地用でした。

また、ボタン穴作成ミシンも自家のみに設置されていました。

表から71-1型が遅くとも1930年に設置されたのですから、それ以降はボタン付きの衣料品を藤本仕立店はミシンで製造できました。

裁断工程は同店が行ない、裁断後に受託工へ切れ布が渡され、受託家内で縫製作業が行なわれ半製品となって同店に戻り、ボタン穴作成とボタン付けが行なわれたと考えられます。

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