ミシンのエピソードをご紹介しています。
ミシンのメーカーと機種はリッカー「TA-1」です。
ミシンの所有者は祖母で、1958年に購入しました。
ミシンの用途
このミシンは嫁入り道具として結婚した時に持ってきた物であり、洋裁教室の仕事に使っていました。
洋裁教室の仕事をしている当初は寝る暇をおしんで人の為に使用していました。お客様の為や私達の為にも使用しています。
婦人服や子供服など全てに使用していました。例えば、服などが多かったです。
自分の子供の服も手間暇をかけてしようしていました。
お客様に対しては有償労働でしていて孫の私たちや身内にはズボンの裾上げなどを無償でしてくれました。
ミシンを習った場所
洋裁学校に通っていました。
当初は福井に住んでいて家からも近かったので、福井にあるドレスメーカー女学院に結婚するまで通っていました。
1957年(15歳の時)から3年間通い、そのあと洋装店で3年間ほど働きました。
結婚して自分で洋装教室をしながらプラスアルファの技術を本などを読んだり、お友達のミシンが得意な人たちと一緒に協力したりしながら技術を向上させました。
ミシンに対する思い入れ
ミシンに対しての思い入れは嫁入り道具として持っていったことです。
そのミシンを家から持ってきたのです。
そこでミシンを実家から持っていくのにしても、ミシンを運ぶのに逆さまにして慎重にトラックに乗っけて運んできたとても大切な嫁入り道具とのことでした。
このミシンで自分の子供の服を全部祖母が生地から一から選び作ってきました。
わたしも小学1年生の入学式の服を作ってくれてその服を着て入学式に行ったのを覚えています。その服の背広はとてもカッコイイ物でとても気に入ってたのを覚えています。
ミシンを使わなくなった経緯や今の使い道
洋裁教室を終えた理由として70歳までやってきて、年齢も年齢でずっと作っているのに疲れたからです。
といっても今でもミシンを使っています。60年間も使っています。
私たちのズボンの裾上げや、小物を作ったり、ふきんを作ったりして使っています。
このようにミシンを今でも大事にしようしています。
ミシンを動かさなくなったら壊れやすくなって大事なミシンが壊れるのも嫌だからのも今でも使用している要因です。
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