ミシンと子供は親を介して意外に相関関係があります。

パフ 115-49-62:2本針ジグザグミシン
パフ社の第115シリーズは2本針本縫ジグザク縫、回転式フック、2本針または1本針のジグザグ縫いもできます。速力は2400です。パフ社の第116シリーズは1本針ジグザグ縫い。転換式送りをもちます。速力は2400です。

シンガー 15K68:袋物・下着縫ミシン
シンガー社の袋物・下着縫ミシンです。型番は「15K68」。1本針二重環縫ミシン。水平に動くナイフ付き。針線より1/8”~1/4”のところで自動的に裁断を調節します。速力は2500です。インチあたり縫目数は3-18針。2本ルーパー。

祖母とミシン:ジャノメ足踏式ミシンの思い出
私は祖母にミシンについての話を聞きました。祖母は1938年生まれで、1961年に結婚しました。嫁入り道具として足踏式ミシンをもって行ったそうです。祖母のミシンはジャノメの足踏みミシンでしたが、型は覚えていません。

ユニオン・スペシャル 39500:高速度オーバーロックミシン曲針
このミシンは、ユニオン・スペシャル社の高速度オーバーロックミシン曲針です。型番は「U.S.CLASS 39500」。自動給油装置付。送り機構は小型で、かつ交叉しています。平板送り。速力を変更しても縫目は常に一用。

パフ 28:皮革用筒型本縫ミシン
これは、パフ社の皮革用筒型本縫ミシンです。型番は「28」。ローラー押え。旅行鞄(スーツケース)、肩掛け鞄(ショルダーバッグ)、書類入れ(ビジネス・ケース)などに使います。インチあたり縫目最大数は6針。速力800~1200。

子供用ミシンのご紹介:学習の適齢期やメリットなど
このページでは子供用ミシンを使うメリットをお伝えしています。最近、じわじわと子供用ミシンが親子の間で普及しています。ミシンを使うことで、製作する喜びと感謝にくわえ、子供に自尊心が生まれます。お子様が最初に縫うのは初めてですか?

デュルコップ 241-101:「1本針本縫 洋服上衣の袖つけ用」ミシン
デュルコップ社の「1本針本縫 洋服上衣の袖つけ用」ミシン。洋服上衣の袖つけ用上下送り、針送り(総合送り)。子供服、婦人服、ドレス、シャツ、ブラウス、下着等の2枚の生地にいせこみを必要とするものに適す。

子供の小物入れを作ったのがミシンの一番楽しい思い出
母自身が子供の頃からミシンが身近にあり習う必要はなく自然と使いかたを学んだ。母はおばあちゃんから学んだ。参考本などを熟読したり習い事などに行ったりしていない。母曰く掃除機の使い方を学んだ事がないようにミシンも使い方を学ばなくても使えていた。

ゆくゆくは娘のウェディングドレスをミシンで制作したい
母が洋裁を学びたいと思った理由は、幼少期からリカちゃん人形の洋服を自分で制作するなど、裁縫が好きであったためである。そのことがきっかけで高校・専門学校に進学しデザイナーとして就職したが、希望の部署になかなか配属されることがなく退社した。

ミシンで子供に作った保育園用バッグ・スモック・弁当袋
中学校でミシンを習った時より自分で買った時の方がミシンがかなり進化していて驚いた。キャラ物を自動で縫う機能や他の手動だった部分が機械化されて時代の移り変わりを感じた。子供用の服などを作ってからは自分で手直しすることで子供の成長を感じた。

ミシンを通して子供の成長を感じて嬉しくなった
ミシンを買うときに担当の方が家に来て2時間ほど説明を受け、説明のビデオがついていたのでそれを学んだそうです。母親は外国の人でフィリピンの方です。フィリピンの小学校5年生・6年生の時にミシンの授業があったそうです(1978年から1979年)。

ミシンで修復以上の事をしたくて姉に教えてもらった
暫くミシンのない生活が続いていて、必要な時は実家で借りて利用するなどしていたが、あると便利なので昨年ホームセンターで安いミシンを購入する事を決意した。実際手元にあれば、なんでもすぐ直せるし、買いに行く必要もなくなるので今では重宝している。

ミシンで家庭を支え子育てをし旦那さんの帰りを待った
現在では家庭用ミシンしか持っていませんが、元々祖母は工業用ミシンを持っていてそちらは結婚して仕事として縫い物を始めたときのものだそうです。実に50年前のもので、今はもう使用しなくなったため引き取り手を探して譲ってしまったそうです。

大学時代に洋裁学校に通い裁縫やミシンを学んだ
大学生になったころ洋裁学校にも通い裁縫や裁断・ミシンの使い方などくわしく学んだ。洋裁学校に入った理由は自分でデザインがしたいし、自分自身に合う大きさの服はあまりなく尚且つ服は当時高価だったため自身で作ろうと考えたからだそうだ。

上糸がうまく針の穴に入らず下糸を引き出すのにも苦労
ミシンに対しての思い出は3つあり、1つ目は中学校の頃に授業で初めてミシンを使用して縫い物をしようとしたときに上糸がうまく針の穴に入らず苦労したことと、下糸を引き出すのに苦労したことです。母は現在ミシンを使わないようになりました。

祖母が学校で学んだミシンは電動式ではなく足踏式
祖母は1970年〜1976年に中学校・高校の授業で先生からミシンの扱い方や裁縫を学んだそうです。当時、学校で学んだミシンは電動ミシンではなく、足踏みミシンであったそうです。時系列的には、その5年後くらいに祖母はこの電動ミシンを購入しました。

小学校で手動ミシンを学び家で電動ミシンを学ぶ
小学校で当時3、4年生の時に学校の授業で手動ミシンの使い方を主に学び、その時に家に電動ミシンがあったために学校で習ってきた事を生かしミシンをいじっていたそうです。母は一人っ子で両親が共働きという事もあり、家で一人の時間が多かったのです。

結婚後に裁縫の上達をめざし洋裁学校でミシンを学ぶ
結婚後、専業主婦で時間があったのと、後々子供にいろいろ作ってあげたいという思いから、手芸の上達のために洋裁学校(東京都洋裁学校、1993年-95年)に2年間通って洋服の作り方を学ぶ過程でミシンの使い方を学んだ。

足踏式ミシンはベルト回しと足のバランスが困難
足踏みミシンの使い方を学んだそうですが、手でベルトを回すのと足踏みのバランスをとるのが難しかったようです。すぐに反対に回ってしまい糸が絡んだり切れたりと綺麗に縫うのに手こずったと聞きました。ミシンを使うことは数年前と比べてずいぶん減りました。

母親は叔母さんの家でミシンの使い方を勉強
母親は叔母さんの家に住んでいたり、ミシンの使い方を勉強したり、叔母さんの子供を世話したりしました。一年ごろにミシンの使い方の学業をおさめました。そして23歳の時に新しいミシンを買いました。母親は結婚した後にもずっとミシンを使っていました。