ミシンは家族の歴史に必要:シンガー「フィットライン 6200」
この記事では「ミシンは家族の歴史に必要なもの」と題した、シンガー社「フィットライン 6200」の思い出を紹介しています。
ミシン所有者とあなたの関係
そのミシンを所有している方はあなたから見てどなたに当たりますか?
ミシンの所有者は母親で、ともに暮らしていました。
その方の生年やミシン利用期間の西暦や居住地
- 生年:56歳
- 利用期間:21年
- 居住地:京都市山科区
ミシン本体について
- ミシンのメーカー:シンガー社
- ミシンの機種:フィットライン 6200
- ミシンの購入年:1997年
ミシンの性能
- 手元集中操作(スタート・ストップ・返し縫いは、手元でできるワンタッチ式脳機能)
- スピードコントロール(縫いにくいところは低速に、直線縫などは高速に、スピード調節をできます)
- ワンタッチフリーアーム(補助テーブルを外すだけでフリーアームミシンに早変わりします)
- 自動糸調子(布地に合わせてオートテンション機能がぴったりの外調子江をスムーズにコントロール)
- ボタンホール縫い(模様選択ダイアルを合わせるだけでボタンホール縫いが簡単にできます)
- 自動穴糸通し(面倒な針穴通しがレバー一つで通ります)
ミシン技術の習得先
私自身の母親
ミシンの使い道
ミシンの所有者はミシンをどのようなことに使いましたか?
シンガー社「フィットライン 6200」を鞄作りや、運動会のゼッケン作成、または子供の衣服の作成の際に縫い物として使うなど自分や体型が大きい旦那のズボンの裾上げなどに使っていました。
その他にも、家庭科の練習台や、孫の運動着の修復、現場仕事の母の弟の作業着の修復をすることです。
誰のために何を作ったか、作ったものを具体的に書いてください。
長男と長女の幼稚園の鞄をキャラクター柄の入ったもので一から作ったり、小学校での運動会のゼッケン作成を一年生から六年生までの間行うなど、また男女に合わせ外出時以外の寝間着などのような衣服の作成をしていました。
私も小さい頃は母の作った寝間着を着て寝ていることが多く、よくキャラクターをつけて欲しいと泣いていたのを思い出しました。(直線縫)
また、孫の幼稚園の鞄作りや小学校の運動会のゼッケン作成などほぼ共暮らし状態だったため二世代に渡り作っており子供の小学校の家庭科の授業でのエプロン作成孫のナップザック作りの練習を一緒に行うなど親戚も合わせ約4人に教えていたそうです。(直線縫、まつり縫、かがり縫)
また、息子がサッカーをやっていた際に練習着の修復や補強、弟の現場仕事の作業着の修復なども行なっていました。
息子も弟ももの使いが荒いのですぐに服をボロボロにしてしまうので大変だったそうです(直線縫)
無償労働か有償労働かの区別も入れて下さい。
家庭での使用が基本的に多かったため、無償労働で使用していたそうです。
ミシンの現在
現在においても、老後を迎えた旦那の衣服や、弟の現場で穴の空いた作業着の修復、孫のサッカーなどの部活動でボロボロになった練習着や息子の高校制服など、穴が空いた時などの修復を行なっており使っています。
ミシンは節約のためにも使っており靴下などが穴の空いた時には、その都度修復し、新しいものを買わず、ものをいつまでも使い続けています。
頻度は孫の年齢が上がってきたのと、少しずつ老眼が悪化していったので少なくなってきているものの、いまだに月に4回程度は使用しています。
たまに最年少の6歳の別のところに住んでいる孫に縫い物を教えているなど行なっており、ミシンが孫とのコミュニケーションの一つのツールになっていて、孫が足を運んでくれる理由の一つになっています。最近では二人で、小さなハンカチを作っているそうです。
また、目は悪くなったものの同世代の友達などと、裁縫やミシンなどを用いて、様々なものを作っています。
例えば、小物入れやタオル、汚くなった小さいタオルを雑巾にするなど趣味として使用することも最近になって増えてきているといいます。
ミシンへの思い入れ
基本的に家族の歴史に必要なものだと思う。
例えば体の大きい旦那のサイズに合わせズボンの裾上げをしたりなど、息子たちの幼稚園、小学校などで様々な用途で使わなければならなかったというところから、当時は確かに作業的なところがあったかもしれませんが、今考えて見れば掛け替えのない時間を共にしたのではないかと思います。
娘に対しては、家庭科の際などに子供に教えてあげるということに非常にやりがいがあり、楽しいことだったのではないかと思います。
さらにそれが世代を超えて、現在の孫世代の幼稚園などの用途にも使う必要があり、弟の作業着の修復や孫の運動着の修復などにも使え、自分が子供や孫たちにできる仕事として考えていたと思います。
母親から修復をしてもらった際には毎回自分で受け取りに行き、そのたび「ありがとう」と伝えた時の祖母の笑顔は今でも記憶は薄くなっていますが覚えています。
とても幸せそうな表情をしてました。
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