ホイーラー・アンド・ウィルソン社の歴史:黎明期ミシン業界をリード
ホイーラー・アンド・ウィルソン社は、19世紀中期アメリカの黎明期ミシン業界をリードしたミシン会社です。
アレン・B・ウィルソン(Allen B. Wilson)とナサニエル・ホイーラー(ウィーラー/Nathaniel Wheeler)が共同で設立しました。英語表記は「Wheeler and Wilson」。
当初の社名は、ホイーラー・ウィルソン・アンド・カンパニーで、ウィルソンが発明したミシンを製造販売していました。
つまり、ウィルソンが製作面、ウィーラーが販売面を担当しました。
アレン・B・ウィルソンの発明類
1849年に25歳だったアメリカの家具職人アレン・B・ウィルソンがミシンを発明して特許を取得したのがモノ的なはじまりです。
ウィルソンが発明した回転式フックはそれまでの定番であった往復シャトルを時代遅れにしました。
ところが、1870年代になっても、事実上の特許権所有者や特許権侵害者たちが手に入れた推定200万ドルのうち一部しか手に入れていませんでした。
他のミシン製造者たちはウィルソンのミシン1号機に対して、軽すぎて商用利用に不適切だと酷評しました。比べると、ウィルソンのマシンは7ポンド以下の重さでしたが、シンガーは50ポンド以上に水準を押し上げました。
有名な歴史家グレース・クーパーは、アラン・ウィルソンを最も独特で創造的なミシン発明者だと述べています。
後のシンガー社社長フレデリック・ボーンも、ウィルソンに対して、発明者として最高の賞賛を授けられるべき人物で、縫製の構築と改善において発揮された創意工夫は筆舌しがたいと明言しました。
19世紀第3四半世紀に人気
ホイーラー・アンド・ウィルソンの製品は19世紀第3四半世紀のアメリカでとても好評でした。
ウィルソンの発明類はあらゆるミシンに採用されていました。
創業から2年以内に数百台のミシンが売れ、ニューヨーク、ボストン、マサチューセッツ州などのアパレル諸工場に納入されました。
1853年、この会社はホイーラー・アンド・ウィルソン製造会社と改称。
1856年にブリッジポートへ工場を移して、ホイーラーを社長として発展してきました。
その後、19世紀第4四半世紀にかけて、同社はシンガー社と米国1位・2位を争う企業になりました。1900年頃に同社はコネチカット州ブリッジポートの製造工場で約1,500人の従業員を雇用していました。
とにかく、ホイーラーの経営手腕とウィルソンの優秀技術によって、黎明期アメリカミシン産業を支えましたが、二人の没後、1905年にシンガー社が合併しました(1906年説あり)。
これまでにホイーラー・アンド・ウィルソンが出したパンフレットからミシンと女性をむすびつけたイラストをご紹介します。
3枚目のイラストはかなり彩色ゆたかなできばえ。私の折に入りの一つです。
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