時代が変わればシュールも変わる

ユニオン・スペシャル社:工業用ミシンメーカーの歴史

ミシンメーカーと地域
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この記事はユニオン・スペシャル社の歴史をまとめています。

日本語で読める同社の歴史はありませんので、ここに要約・邦訳します。

典拠元はほぼ次の同社公式サイトです。

出典 http://www.unionspecial.com/about-us/bag-history/

出典 http://www.unionspecial.com/about-us/history/

1点目の出典がおもに戦前、2点目が戦後となっています。

いずれの出典にも、途中で有名製品の解説が入りこんでいるので、それらは省きました。

ユニオン・スペシャル社の公式サイトのキャプチャ画像です。ミシンとソーイングシステムを並列させています。

ユニオン・スペシャル社の公式サイト

ユニオン・スペシャルの歴史:バッグ製造機・袋口縫機

ジャスパー・コレイ(Jasper W. Corey)は最良のバッグ製造機や袋口縫機を作ることを誓い、結果的にユニオンスペシャル社の基礎を築きました。

ロレンツ・ムザーとルッセル・ウッドワードとともに、新しい製袋機の研究を1880年の春にスタート。同年に完成しました。

袋口縫機(袋口縫ミシン)とは、たとえばこんなのです。

ユニオン・バッグ・マシンの誕生

この製袋機はユニオン・バッグ・マシンとして知られるようになり、デモンストレーション用にシカゴのバッグ工場に置かれました。

競合他社のマシンに比べ、より簡単に・より少ない修理で・より少ないコストで・より多くのバッグを生産することができました。主なメリットは直線針を使った「ダブルロックステッチ」ミシンの生産でした。

ユニオン・バッグ・マシンは市場で最も高速なチェーンステッチミシン(環縫ミシン)で、既存ミシンの2倍の速度で動作しました。

ミシンをテストする製袋工場にも恵まれ、開発後すぐに12個を注文しました。

開発者チームの分裂

その間にコレイは医学の研究を追求するために企業から撤退しました。

道具の限られたハンディキャップに苦しみながらも、ムザーとルッセル・ウッドワードは必死で友人たちに財政援助を訴えました。

二人は、ウィリアム・スタンレー・ノースの注意をひきました。幅広いビジネス経験、動的な力、誠実さを兼ねもつノースは、彼らの事業が健全で、優れたビジネス法則を適用すれば成功できると確信しました。

ユニオン・バッグ・マシン社の設立

1881年にユニオン・バッグ・マシン社が組織されました。

ノースは同社最初の社長に選出されました。

バッグ工場の設立

ミシンが生産コストを削減することを証明するため、ユニオン・バッグ・マシン社は自社のバッグ製造工場を作りました。

そして、実際の工場条件下でミシンが稼働する状況を把握しました。

バッグ製造業者たちはこの機械の利点をすぐに理解し、会社はバッグ製造を中止しました。

こうして、同社は努力をミシンの開発と生産に集中しました。

ユニオン・バッグ・マシンの隆盛

ユニオン・バッグ・マシンは、ミシン市場で最高かつ最速と認められました。

製品の多くは全国の主要なバッグメーカーに売られました。

同社の成功は保証されました。

初代社長ウィリアム・スタンレー・ノースの才覚

ウィリアム・スタンレー・ノースは、社長として正しい仕事にふさわしい男性を選ぶ方法を知っていました。

そして彼のアイデアは何年も先を見越したものでした。そして、いま繁栄している若い会社の将来を計画していました。デザイン、材料、手法の研究は当初から同社の事業に欠かせませんでした。

この頃のアメリカでは、研究部門は高価でふつう役に立たない贅沢だと多くの産業界が懸念していました。

しかし、ユニオン・バッグ・マシン社を管理するノースは、最初の研究と技術開発をつうじて、すべての縫製作業の効率を高めることが重要だと考えました。

同社の考える縫製の範囲は、もはや袋やバッグを超える幅をもつようになっていました。

ユニオン・スペシャル・ソーイングマシン・カンパニーの設立

創業からわずか4年後の1885年までに、同社によって製造されたいろんなミシンが製袋分野を凌駕していました。

そこで、会社名をユニオン・スペシャル・ソーイングマシン・カンパニー(ユニオンスペシャル・ミシン社)に変更しました。

ウィリアム・スタンレー・ノースは、1881年から1908年に亡くなるまで、ユニオン・スペシャルの会長を務めました。

ドイツのシュトゥットガルトに製造工場を新設

シカゴでとても成功したスタートアップの20年後のこと。

1901年に新しい生産施設が「ユニオン・スペシャル・ミシン製造株式会社」の名でドイツのシュトゥットガルトに設立されました。

1898年にドイツのユニオン・スペシャル社の販売代理店を引き継いでいたフリッツ・ヴェーファーは、マネージングディレクターに就任し、1901年に58人の従業員を擁して生産をスタート。

シカゴ本社とシュトゥットガルト工場はとても密接に協力しました。アタッチメントの開発とさまざまな縫い目のために、新型ミシンをたくさん開発していきました。

「ユニオン・スペシャル・ミシン製造株式会社」は設立から数年以内で、ドイツの他の多くの町に150人の従業員を抱え、販売店・サービス店を広げていきました。

特殊ミシンの代表メーカーへ

アメリカとドイツで製造販売するようになったユニオン・スペシャル社は、20世紀の幕開けとともに工業用ミシン(当時は特殊ミシン)の世界的な有名メーカーに成長しました。

リーバイ社にかぎらず、日本のジーンズメーカーには、よくシンガー社製ミシンとユニオン・スペシャル社製ミシンの両者を置いています。

1920年代になると、ようやく日本の貿易資料に、ヘラクレスやアンテウスなど同社ミシンがしばしば述べられるようになります。

ヘラクレスとアンテウスは、どちらも麻袋縫合用の二重環縫ミシンです。テニスの網、漁網、絨緞、クッション、馬具等の縫製に耐えられるものでした。

大蔵省主税局編『外国貿易概覧』1921年版、482頁・483頁。

其ノ他麻袋ヲ裏返シ縫直シニ使用スル爲へらくる、あんてうす等ノ如キ特殊みしんモ本年相当ニ売行キタリ

大蔵省主税局編『外国貿易概覧』1921年版、483頁

この引用は次のアドレスで確認できます。

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ヘラクレスとアンテウスは、どちらも麻袋縫合用の二重環縫ミシンです。

テニスの網、漁網、絨緞、クッション、馬具等の縫製に耐えられるものでした。

ハントリー工場(フェンシル・プラント)の購入

1946年にユニオン・スペシャル社はシカゴの主要工場に3つの新しい製造フロアを増設しました。

ユニオン・スペシャル社は当時、シカゴに本社と製造工場、ドイツに製造工場をもっていました。

そして、1948年初頭にはシカゴ近郊、米国イリノイ州ハントリーにある機械用ガスケットのメーカー「フェンシル・プラント」を購入しました。フェンシルの工場は44,000平方フィートをカバーし、会社の将来的拡張に利用できる土地として十分でした。

ハントリーの場所はGoogle Mapでこちら

ハントリー工場は1948年5月3日に生産スタート。

同工場はすぐに完全な生産施設となり、部品の機械加工と塗装のあらゆる面を担当しました。また、ミシンの組み立ても行ないました。

ハントリー工場では、部品の機械加工は、ドリルプレス、フライス盤、ナッコ・多軸ボール盤、平面研削盤など、1940年代最先端の機械加工装置で行なわれました。旋削作業は手動または自動スクリューマシン旋盤を使いました。

ハントリー工場の増設と躍進

1950年代になると、ハントリーでは4棟の建物が増設されました。

この工場は現在、合計165,000平方フィートの製造スペースを占めています。すべての組立ラインはシカゴから移転し、現在はハントリー工場の一部になっています。

1960年代になると、ユニオン・スペシャル社は、製造用機械店で使われてきた数値制御フライス盤を購入しました。アメリカ中西部でこのタイプの機械を購入した最初のメーカーの1つでした。

ハントリーではさらに3棟を増設し、総製造スペースは282,000平方フィートを超えました。

この頃の機種

1960年代の同社ヒット商品は39500クラス。

この機種は1968年に「Big H」(つまりハントリー工場)で作られた高速度オーバーロックミシンです。

「U.S.CLASS 39500」シリーズの紹介はこちら

ユニオン・スペシャル・コーポレーション

1970年代初頭に、新しい技術トレーニングセンターをハントリー敷地に建設。

会社は社名を「ユニイオン・スペシャル・マシン・カンパニー」から「ユニオン・スペシャル・コーポレーション」に変更しました。

この頃、さらに2棟の建物が追加され、ハントリー工場は376,000平方フィートを超えました。

製造部門のハンドリー工場への統合

1980年代になると、ユニオン・スペシャル社はシカゴの製造事業をハントリー工場に統合します。

そのためにハントリー工場では10回目の増設が必要となりました。製造ビルの敷地は現在の418,000平方フィートにまで拡大されました。

1980年代に同社はキャド・システム(CAD/コンピュータによる支援設計)を導入しました。キャドは、ミシン・デザインの設計師たちに、工場で部品を製造する前にコンピュータで新製品のデザイン機会やテスト機会を提供しました。

1988年に「従業員参加プログラム」をスタート。

1990年代に同社は、従業員の参加活動に対して多くの賞を受賞しました。一例に、1995年に同社の製造担当者チームは、イリノイ州製造者協会の小グループ問題解決チームで優勝。

同社は新技術の一つ「ラピッド・プロトタイピング」を導入しました。これを導入したことで、キャドやサンダース・ラピッド・プロトタイピングによる電子データファイルをもとに、鋳造部品のプロトタイプや少量生産を直接に迅速に生産することができるようになりました。

21世紀のユニオン・スペシャル

2000年代にもユニオン・スペシャル社はハントリーの施設で活動しています。

同社は2003年に、機械フレームを製造するために最先端の立形マシニングセンタを導入しました。

すべてのルーパーとスプレッダーを含む部品の大部分を今でもハントレーで生産しています。また、独自の熱処理、フレーム製造、インベストメント鋳造、CNC、スタンピング、機械組立を行なっています。

同社の機械や部品を衰えず作っているのは、平均勤続年数27年の従業員たちです。同社のアメリカ人オーナーたちは全員、30年以上にわたり会社に在籍しました。

過去60年間に「ビッグ・エイチ」(ビッグ・ヘントリー)で作られたミシンの多くは、1950年代、1960年代、1970年代のものでさえ、今でも世界中で使われています。「そんなミシンは今では珍しい」という台詞はユニオン・スペシャルのミシンには当てはまりません。

雑記と感想

調子こいて2時間ほど、ユニオンスペシャル社の歴史を公式サイトから要約しました。

グーグル翻訳の精度がまたまた上がっていてビックリです。

こちらに書いたような経緯で、私は、もともとアパレル産業を勉強してきて、ミシンにも気を配らないとダメだと思って、シンガー社を知りました。

ミシン屋シンガーを取りあげた本を何冊も買って読んでまとめて、その間にユニオン・スペシャル社の存在を知りました。

このページに紹介したような戦前日本の貿易報告書には、シンガー社に次いで多く言及しているので気になっていた会社です。また、蓮田重義編『工業用ミシン綜合カタログ』でも、冒頭のシンガー社に続いてたくさんのページを割いて取りあげています。

シンガー社を知れば知るほど、US社にも興味がわいてくるという不思議な体験でした。

ユニオンスペシャル社がバッグ製造ミシンの会社が実験的にでもバッグ工場を作った真摯さに驚きました。

今回まとめて分かったのは、袋口縫ミシンやバッグ製造用ミシンも、普通ミシンなみに需要はありますね。

普通も当たり前なら、特殊も当たり前(詳しくはこちら)。

なんか腑に落ちました。

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