服ができるまで:繊維調達からミシン縫製までの道のり
小規模仕立業者の経営から読み解くファッションの社会経済史

出版社ページの「著者メッセージ」にて自著『近代日本の衣服産業-姫路市藤本仕立店にみる展開-』の面白みを紹介しています。

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ミシンメーカーと地域産業

フリー社:二転三転の経営転換で疲弊したミシンメーカー

フリー社の広告(1917年)
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フリー社:二転三転の経営転換で疲弊したミシンメーカー

フリー社は1970年に米国オハイオ州のスプリングフイールドに設立されたミシン会社です。英語表記は「Free Sewing Machine Company」。もともとセントジョン・ミシン社です。

1890年に工場をイリノイ州ロックフォードへ移転。実業家のペール・オーガスト・ピーターソンが経営し、社名をロイヤル・ミシン社と改名しました。

1896年にシカゴのウイル・シー・フリーが役員に参加し、1910年に社長就任と同時に社名をフリーミシン社と改めました。

1917年頃にウェスチングハウス社と提携してミシンの電動化に成功。「フリー・ウェスチングハウス」の商標で製品が売り広めました。

1940年になって、ニューホーム社とともにJ・キャスラーとその一族の手に経営が写りました。第二次世界大戦中はミシンの生産を中止して軍需品生産に転換、戦後はミシン生産を再開しました。

しかし、1950年に朝鮮戦争が勃発したため、アメリカ政府は1954年に再び民需品生産を禁止。同社のミシン生産は全面的に中止させられました。

この時期に良質廉価なヨーロッパ製ジグザグミシンや日本製ミシンが全米市場を席捲してしまいました。そのため、フリー社はミシン生産の再開をできなくなりました。

同社は仕方なく製造をあきらめ、ヨーロッパ製や日本製のミシン輸入販売に転換。1960年には傘下のニューホーム社をジャノメ社に売却することを契約し、ミシンの製造販売を中止しました。

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