ミシン・バトル:1870年代アメリカのミシン開発競争

開発・特許・競争
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1950年代にミシンが産業化したアメリカでは直後から過当競争の段階へ進みました。

とくにめだったことに特許権に関する裁判が急増しました。1870年代にはパテント・プール(特許権共有化)に落ち着きます。

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特許

アメリカでミシンを実用化したのは1840年代のエリアス・ホウといわれます。

その後、1850年代になってミシンの製造販売は過当競争気味になり、数社はパテント・プールを1856年~77年に行ないます。

これによって約20年間は協定企業24社による寡占状態に入ります。

1880年代になると新規参入企業がほぼ消滅しました。

関連 19世紀中期アメリカでミシン製造業が誕生するまで

アメリカ企業別ライセンス生産の推移(1853年~1876年)

上のグラフは1853年~1876年を対象にした、企業別ライセンス生産ミシン台数の推移です。

シンガー社だけが順当に製造台数を増やしていったことが分かります。

同社の生産台数は1870年代に、ホイーラー・アンド・ウィルソン社にはっきりした差を見せつけるようになりました。

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ミシン・バトル

過当競争や裁判沙汰を風刺したイラストが「ミシン・バトル」です。

この記事では風刺画を参照しながら、ミシンの有名会社を紹介していきます。

1870年に米国内のミシン製造会社は70社近く存在し、10年後には124社にまで増加しました。

次が「ミシン・バトル」と題された風刺画です。

このイラストは1874年に出版された楽譜の表紙で、ミシン製造業に出遅れた感のあるレミントン社を筆頭に1870年代の米国ミシン戦争を描いています。

上に転載した画像またはリンク文字をクリックすると典拠元のページへ飛ぶようにしています。そちらではもっと大きい画像を閲覧することができるので、ぜひご参照ください。

楽譜表紙の左半分にライフルを右肩に乗せたレミントン警備隊が縦二列横無数の隊列を組み、足踏式ミシンに乗って進軍しています。

顔が大きく描かれた社長と思われる人物が警備隊の背後から大砲を打ち、手廻式ミシンが多く放たれています。

レミントン社 : Remington Sewing Machine

レミントン社は1840年代のメキシコ・アメリカ戦争以来、南北戦争、第1次世界大戦、第2次世界大戦にかけて米国政府にライフルや自動小銃を納品してきた企業です。

種々の武器だけでなく、一時期はタイプライターやミシンも製造販売しました。

レミントン社がミシンに着手したのは1870年から1894年まで。

この楽譜が刊行された1874年は、同社が6月に第2号ミシンを出した都市です。ドロップリーフテーブルと2つの引き出しを備えた家族用の足踏ミシンは当時で75ドルでした。

同社製ミシンはタイプライターとともに1876年のフィラデルフィア万博に出品されました。同社のタイプライターをイギリスの作家アガサ・クリスティーも使っていました。

Let her rip!!!」(ほっておくしかない)に附された箇所では飼い主と思われる男性が手を離し、猟犬が尻尾に手廻式ミシンを結びつけたまま走り回っています。

大砲から放たれた手廻式ミシンから逃げるために、首に手廻式ミシンを乗せた別の人間が「Seek-or of succor」(助けを呼んでよ)の台詞とともに描かれ、男性飼い主に向かって両手を前に出しながら走っています。

カオスです。

追記:映画「ウィンチェスター・ミステリー・ハウス」

今日は映画「ウィンチェスター・ミステリー・ハウス」を見ました。

グラフィックの技術が上がりすぎていてオチがかなりリアルな戦闘場面になりイマイチ。

途中まではどんな狂気やお化けが出てくるのかハラハラさせるものはありました。

このウィンチェスター家はウィンチェスター・リピーティングアームズ(Winchester Repeating Arms)という重機メーカーとして距離の富を築いた一族の家です。そこで思ったのはミシン会社でもありライフル会社でもあったレミントン社との競合関係。

おおむね1850年代・1860年代頃にレミントン社とウィンチェスター社はライフル生産でアメリカの1位・2位を占めていたようです(大雑把なネット検索による)。

映画に出てきたようにウィンチェスター社はライフル以外にスケートボードの販売もしていました。

(以上追記、2019年1月12日)

エリアス・ホウ社、ウィルコックス社など

HOWE slow we go on !!!」(どうしてこうも私たちは歩くのが遅いの)という文章はエリアス・ホウ(Elias Howe)に触れたものです。

特許バトルで大きく出遅れた亀がホウ社(エリアス・ホウ)にもじって描かれ、手廻式ミシンを背に乗せながら独り言をいっています。この亀の絵はシンガー社が1856年に家庭用ミシンとして設計した「タートルバック」(亀の背中)も想像させます。

ビルを背中に乗せた孔雀(peacock)はウィルコックス・アンド・ギブス社の比喩でしょう。

This Animal kicks up at times」(この動物は時々蹴り上げます)と記された箇所では、足踏式ミシンの片足が暴れ、普段着のワンピース・ドレスを着た女性を川辺へと蹴飛ばしています。たぶん、足踏式ミシンのゴムベルトがよく外れたことを描いているのでしょう。

あとは、サッカー社やウィード社などのミシン・メーカーもあったと想像します。ただし、この点は未確認。

さて、この川辺の向こう側(foreign)に佇むのがシンガー一家です。

シンガー社

一番右端に描かれたシンガー一家。

川辺の対岸で母親が娘らしき少女3人と一緒に、楽譜を見ながら合唱している風景が描かれています。歌手としてのシンガーです。「Family Singer On a foreign Shore」を和訳すると「外国の川辺の歌い手一家」といったところです。

女性4名の頭部は手廻式ミシンになっています。シンガー社は多国籍企業化を進めて果敢に海外へミシンを輸出していました。

関連 製造面からみたシンガー社の多国籍化

関連 販売面からみたシンガー社の多国籍化

風刺画でレミントン社は手廻式ミシンを大砲から放出していました。

手廻式は米国内で余りまくったのでシンガー社も処分に困っていました。シンガー社は在庫処分として外国へ売りさばきました。

また、工業用ミシンだけでなく家庭用ミシンの販促によっても対岸(海外)の広域販路を確保したシンガー社の特徴がはっきり描かれています。

1894年に施行された特許関係のパリ条約をもとに、シンガー社は海外でも特許を武器に展開していきます。その一例を「解題:ミシン国産化の遅延要因 ―特許出願の方向性」に記しています。

出典について

ここに紹介した「ミシン・バトル」と題された表紙は、エフ・ハイドが作曲・編曲したピアノ曲の楽譜に添えられたものでした。

この楽譜は音楽関係の出版社「Wm. A. Pond & Co.」が1874年に出版したものです。当時、同社はニューヨーク州ニューヨーク市ブロードウェイ547番地にありました。

この表紙のリトグラフは版画家アール・テラーが書いたもので、彼はニューヨーク市ウースター街120番地に暮らしていました。

関連リンク

  • REMINGTON – ミシン・マニアのサイト内、レミントン社の歴史を述べたページです。サイトはレミントン・ミシン、ミシンのコレクション、関連トピックなどを掲載しています。
  • Agatha Christie : The Queen of Crime | Routine Matters – 犯罪小説・推理小説の作家アガサ・クリスティー(1890-1976)についてクリス・ホワイト(Chris White)の書いた記事。レミントン社製タイプライターを使うアガサの姿が紹介されています。

まとめ

ミシンの歴史は経済学の歴史をわかりやすく示しています。

19世紀後半、まだまだ政治学や経済学は貿易という経済活動をつかまえられていませんでした。

19世紀末にもなると、アメリカのミシン製造業の国際競争はドイツのメーカーも巻き込んで熾烈になっていきます。

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