グローバー・アンド・ベーカー社の歴史:環縫ミシンに強み
グローバー・アンド・ベーカー社は、米国ボストンの仕立屋ウィリアム・グローバーが同郷ロクスベリー出身のウィリアム・ベーカーとともに設立したミシン・メーカーです。
パートナーシップ(合名会社)として、1851年(1849年説あり)設立されました。
創業のきっかけは、創業年の1851年(1849年説あり)に2本糸環縫ミシンの特許を取得したことです。英語表記で「The Grover and Baker Sewing Machine Company」。
この特許はバルテルミー・ティモニエ以後の環縫ミシンを完成の域に押しあげた発明品といわれる一つです。このミシンは、往復する下針と曲がった上針とを用いて、主に飾縫に使いました。
完成の域に押しあげた環縫ミシン
下糸はボビンから巻き取られる必要がありますが、当初はボビンが小さくて糸が短かすぎたため、効率的に作ることができませんでした。
グローバーとベイカーは一緒に、上糸のような大きなスプールから下糸を送り出す機構を開発しました。するとマシンは長時間にわたり縫いつづけることができました。
創業
彼らは、グローバー・アンド・ベーカー・ミシン社を設立し、ボストンのトレモント・ストリートに事務所を構えました。
その後、ビジネスが成長するにつれ、マンハッタン、ブルックリン、フィラデルフィア、シンシナティ、シカゴ、ミルウォーキーに事務所を開設しました。
同社のミシンは安くありませんでした。同社製ミシンは最大で150ドル(今日の価格に換算して数千ドル)で売られ、最も安価なものでも80ドルでした。
創業年に500台のミシンを販売しました。同社最高年で77,403台を売りました。操業期間全体では50万台以上のミシンを販売しました。
海外への販売促進活動
創業者の一人、ウィリアム・ベーカーは果敢に大口顧客を獲得していきます。
1854年にベイカーはヨーロッパへ行き、ロシア、オランダ、イギリス、ドイツの政府に軍用その他の用途としてミシンを販売しました。
2年後の1856年には皇帝ナポレオン3世と交渉するためにフランスへ向かいました。
ベイカーは日記の中で次のような趣旨を述べています。ナポレオン3世の妻エフゲニ皇后は夫にミシンを買わないようにお願いしていました。
ミシンが普及するとパリの仕立屋から生計を奪ってしまうからです。これはバルテルミー・ティモニエがミシン工場を潰されたケースと同じ理由です。
ベイカーはエフゲニ皇后のミシン拒絶を理解していました。そして皇帝ナポレオン3世は寝室に皇后を閉じ込め、ベイカーと皇帝は平和に交渉を終えたとそうです。
アメリカ市民戦争で大ヒット
ベイカーはアメリカに戻り、アメリカ南北戦争(アメリカ市民戦争)時のユニオン(北軍)とアメリカ連合国(アメリカ南部連合/南軍)に対して軍隊ユニフォーム(軍服)製造用にミシンを提供しました。
グローバー・アンド・ベーカー社は、1870年代には小さなスーッケースのなかに入るポータブルなミシンを生産して人気を得ました。
参考 Mr. Baker’s Fairyland of the Beautiful and Bizzare | MEDFIELD HISTORICAL SOCIETY
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