ミシンのエピソード「足踏式ミシンはベルト回しと足のバランスが困難」をご紹介しています。
対象となるミシンのメーカーと機種はジャガー「JS-670」で、2010年ころに購入。
インタビュー対象者は祖母です。
ミシンの用途
最初は自分のために、マタニティドレスやスカート、ワンピース、ズボン、ブラウス、カーテン、のれん、浴衣、マントカバー、手さげカバン等何でも作ったそうです(無償労働)。
子供が生まれてからも、子供のためにオムツ、腹巻、よだれかけ、幼稚園に行くようになってから手作りで手さげカバン、座布団、雨の日のレインコート(防水をして)、バザーに出す人形、給食袋等いろいろ作ったようです(無償労働)。
また子供が生まれた頃は、内職として子供服を数百枚作っていたそうです(有償労働)。
他には、主人のズボンの裾直し、田舎の母親にお土産として簡単な服、娘のピアノ発表会にはドレスを毎年幼稚園から小学生まで夜なべして作ったそうです(無償労働)。
これが1946年頃に買った足踏式ミシンの話で、その後卓上ミシンができ1979年頃に買い替え、ファスナーや簡単な刺繍もできるようになり、スーツやコート等高度なものを作ったそうです(無償労働)。
これがやがて壊れて現在の2010年に買ったものになるそうで、性能は二台目のジャノメのものと違い安かった分劣るそうですが、綻びや薄いもの等に使っていたそうです(無償労働)。
ミシンを習った場所
宮崎から上阪して寮のある会社に入社し、それから何かを勉強したいと考え洋装を習おうと18歳の頃(1962年頃)、大阪の八尾にある夜間学校の文化服装教室という所に一年くらい週一回行っていたそうです。
そこでは、型紙だったりミシンの使い方を学んで、ブラウス・スカート・ワンピース・ズボン等を作ったそうです。
足踏式ミシンの使い方を学んだそうですが、手でベルトを回すのと足踏みのバランスをとるのが難しかったようです。
すぐに反対に回ってしまい糸が絡んだり切れたりと綺麗に縫うのに手こずったと聞きました。
ミシンに対する思い入れ
ミシンを使うようになって、ほんとに大助かりだった思い出があるようです。
少なくても一週間に二回くらいは使っていたという話を聞きました。
ミシンも足踏みから電動になり簡単な刺繍が出来るようになったり、前とは違うパーツのものや素敵なカバン等が作れるようになったことでとても嬉しく楽しくミシンが使えたようです。
若い頃はいろいろ使いこなせたと言っていましたが、今は年齢を重ね、ミシンの調子も悪く、綻びを直すときや座布団カバー等を作っている程度で終わっているそうです。
でも今までミシンが使いこなせたことは、本当に有難いことだったそうで、娘のピアノ発表会にはドレスを毎年幼稚園から小学生まで夜なべして作ったことが結構思い出になっていると聞きました。
ミシンを使わなくなった経緯や今の使い道
現在は、ミシンを使うことは数年前と比べてずいぶん減ったようです。
ミシンを使わなくなった経緯としては、今では年齢も重ねたこともそうですが、ミシン自体も以前使っていたジャノメのものと違い、安かったものだったそうでロックとか糸通し等がすぐ折れて使えなくなってしまったそうです。
また糸がとんだり絡んだりしてしまうようでどんどん使わなくなってしまったそうです。現在は、ミシンの調子も悪く、綻びを直すときや薄いもの等を縫う時に使っている程度で終わっているそうです。
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