パフ社の歴史:ドイツ最強の工業用ミシンメーカーへ
パフ社は、1862年にゲオルク・ミヒャエル・パフがドイツのカイゼルスラウテルンに設立したミシン会社です。
パフ社の設立された1862年に、アメリカーのグローバー・アンド・ベーカー社製のミシン1台が修理のためにパフの仕事場に持ちこまれました。
彼はこのミシンに興味をもち、やがで手製の工業用ミシンを設計し、制作することができました。これがパフ社設立の端緒です。
1870年に普仏戦争が勃発して、ミシン需要が漸増しました。
パフ社はミシン製造に注力していきました。
グローバー・アンド・ベーカー社の製品をモデルにしたらしい、家庭用の長船A型ミシンの生産をスタート。2年後の1872年に年産1000台に達しました。
生産設備の拡充
1880年代には創業者ミヒャエルの長男ゲオルグ・パフがアメリカ製ミシンを果敢に導入し、同業ケーニッヒ社を買収して、生産設備の拡充を果たします。
この結果、1891年に年産25000台を数えました。
1896年にそれまでの工場をカイゼルスラウテルン市西方へ移転し、旧工場跡地には大量生産システムを導入した新しいミシン工場を建設しました。
こうしてパフ社では工業用ミシン部門が急速に成長し、創立50周年にあたる1912年に二重回転カマ・ミシン、最初の工業用高速ミシン(パフ101型・パフ102型)が開発され、かんり売れました。
販売エリアの拡大
販売面をみましょう。
当初はドイツ国内の南部・南西の2地区に向けて販売されていました。
しだいに代理店網を広げて、1882年に代理店組合を結成し、ドイツ国内における地位を確立しました。
海外輸出は1871年にスタート。
当初はベルギー、ルクセンプルグ、オランダ、スイス、などのヨーロッパ諸国へ向けられていましたが、やがでオーストラリアへ進出します。
さらに1880年代になるとジャカルタなどオランダ領インドやイギリス領インドへの輸出もスタート。年間の全売上は1000万マルクを超えました。
1900年代になるとアフリカ全域、中近東地区への進出が計られました。その後もパフ社の輪出は急増加し、1913年には輸出が生産総額の約60%を占めました。
こうしてパフ社は急激な発展のもとで20世紀初頭にドイツ最大のミシンメーカーの地位を築きました。
戦時から戦後へ
第1次大戦と第2次大戦はパフ社に大きな打撃を与えました。
そのたびにリナ・パフ、カール・パフなどパフ一族が復興してきました。
1957年にカール・ヴェルナー・キーファーがパフ社の経営にあたりました。この1957年にパフ社は南独カールスルーエのドウラッハにあるグリッナー・カイザー社の大半の株を買収し、資本金が2200万マルクとなりました。
それとともに、パフの本部はルートヴィヒスハーフェンに移されました。
1960年代になって、カイゼルスラウテルンには新しいオートメーション工場が建設されました。1961年にグリッナー・カイザー社を買収、カールスルーエ工場として近代化を進めました。
この1961年時点でパフ社の製品は家庭用ミシンが12種、軽量ミシンが9種、工業用ミシンが100種にわたっていました。その他にも、ミシン改良部品、電気アイロン、他社向け家庭用品などが製造されていした。
1960年代の海外販売では80カ国以上に輸出しました。1964年3月、パフ社はジャノメ社と事業提携を行なうことを決定し、同年7月にカールスルーエに合弁会社「ドリーナミシン会社」を設立しました。
公式サイト Pfaff – Home
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