シンガー社の歴史:臨機応変な史上最大のミシンメーカー

ミシンメーカーと地域産業
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この記事では、シンガー社の歴史をまとめています。
基本的には、他社と競争するなかで臨機応変な経営をすすめて、すでに1900年頃には史上最大のミシンメーカーになりました。
ミシンの世紀ではシンガー社の歴史をテーマ別にまとめた記事があります。そちらも併せてお楽しみください。

関連 製造面からみたシンガー社の多国籍化
関連 販売面からみたシンガー社の多国籍化
カテゴリー ミシン型番別カタログ「シンガー社」…古い同社ミシンの紹介。
タグシンガー」…シンガーを含むサイト内の記事リスト。

シンガー社の公式サイトのキャプチャ画像です。裁縫用具やミシンの模型などが賑やかに並んでいます。SINGER Sewing & Embroidery Machines | Singer.com

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シンガー社の概要

シンガー社は発明と広がりの2点から、19世紀・20世紀の世界史上で最もよく知られた企業です。

1851年から、シンガーという名前は縫製と同義語になりました。

gafaかfagaか知りませんけど、シンガー社の歴史を広く深く知れば、gafa程度で有名になる現代企業にgafafafaと笑いがこみあげてきます。シンガー最強です。

ミシンは19世紀の最も重要な発明でしょうし、インドのガンジーも≪西洋人の割にまともな物を作ったな≫と、ミシンだけは高く評価したようです。手作業部分がミシンには多く残されているからでしょう。

このようなミシンの認知に、シンガー社は他社よりも強く貢献したと思うのです。同社はアメリカで最初に成功した多国籍企業です。

シンガー社は、あらゆる用途の縫製をめざしてミシンを開発しました。創業時の特徴だった実用的なデザインや創造的革新の精神は今も続いています。

シンガー社は世界で初めてジグザグミシンを開発しました。

また、初めて電子機器を搭載したミシンを開発しました。今でも世界で最も先進的な家庭用ミシン、刺繍ミシン、キルティングミシンなどを作っています。

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19世紀後半

1850年にアイザック・メリット・シンガーは実用的なミシンを制作しました。

翌1851年8月12日に最初の「シンガー」ブランドでミシンの特許を取得しました。この年にシンガー社は誕生しました。

当初はマサチューセッツ州の小さな工房でした。

多国籍企業化

シンガー社は、1855年に開催されたフランスのパリ世界博覧会で最優秀賞を受賞。

これをきっかけに、同年に多国籍企業へと展開をはじめ、数年で国際企業へ成長します。

結局のところ、世界初の独占的コングロマリット(複合企業)になりました。

家庭用ミシンの製造販売

1856年の「タートルバック」(亀の背中に似た設計デザインのために、こう呼ばれました)を嚆矢に、1858年にシンガー社は最初の軽量家庭用ミシン「グラスホッパー」を発表、

1859年に家庭用A型モデル、1865年にニュー・ファミリー・モデルの販売を開始しました。

1858年に製造販売されたシンガー社製家用ミシン「タートルバック」。 via NOT MINE – but I have the honor of sharing this piece of new history…

このように、創業直後から工場だけでなく家にも市場拡大を図った点が同社の躍進を支えます。

1865年には有名な「ニュー・ファミリー」ミシンを発売。

この年、アメリカ南北戦争が終結。

1870年に同社のトレードマーク赤色「S」女子が誕生。この商標はいくつもの言語で作成され、世界で最も有名なロゴの1つになりました。

シンガー社の場合、工業用ミシンだけでなく、家庭用ミシンの開発・販売にも重点を置いていた点が特徴です。

戦前に家庭用ミシンという言葉はなかったので、ミシンの世紀では、たまに「家用ミシン」といっています。

1879年に特許取得された振動シャトルの機構は、のちに改良型ファミリー・クラス15や、改良型工業用クラス16等へ応用されました。このシャトルの模倣は、1930年代以降の日本ミシン会社最大の難関となりました。

ついで、シンガー社は1880年代に新機械の部品に互換性を持たせ、クランク、レバー、カムを用いて作動させる段階に到達します(小原博, 2012, シンガー社の需要創造活動)。

シンガー社の販売方式の確立

小原博は19世紀後半シンガー社のマーケティング活動を漸次的な変化から明らかにしました。

  1. 販売権委譲を伴う「販売代理商」方式
  2. 「フランチャイズ」(特約代理店)方式
  3. 「直営販売支店」方式

です。

小原によると、1859年までにシンガー社は大都市で14支店を数え、直営販売支店方式がフランチャイズ方式を支え、やがて3つの販売方式は相互補完的に進行しました。

フランチャイズ方式と同時に導入された割賦販売は、のちに主要な販売方式となる直営販売支店方式の段階になって、シンガー販売促進活動の原動力となります。

1878年にはフランチャイズと直営支店の両方式は米国市場を網羅する段階に達しました。

市民戦争で自社製品が利用されたホイラー・アンド・ウィルソン(Wheeler & Wilson)社は、終戦直後からシンガー社と米国内競争に入りました。

1870年代になると米国ミシン競争は一層激しくなりました。ミシン競争は次の記事もご参照ください。「ミシン・バトル : 1870年代アメリカのミシン開発競争

シンガー社製品の売れ行き

1880年代以降のシンガー社製ミシン販売の展開は枚挙に暇がありません。

主なものは、1890年の年間販売量80万台(Don Bissell, 1999, p.116)、1895年のキャビネットつきミシン69万4,000台などが挙げられます(Don Bissell, 1999, p.119)。

1895年9月末までにシンガー社は創業以来の通算1,325万台を販売し、そのうち外国工場は587万台を製造していました(小原博, 2012, 149頁)。

アンドルー・ゴードンによると、シンガー社は日本に最初の支店を横浜と神戸に設置した1900年に同社製ミシンが米国で約5割、世界で7~8割の市場を独占し、そのうち約8割が主に女性に利用された家庭用ミシン(家内労働用含む)であったといいます。

ただし、20世紀初頭の日本の場合、同社製の工業用ミシンが大量に輸入され、それが家にも設置される場合がありました。

この点をゴードンは無視しているので問題が残ります。

アンドルー・ゴードン(2005, ミシンの宣伝と利用から読み取る女性像)。ゴードンの論考はシンポジウム原稿であり、データ出典元を明記していません。とはいえDon Bissell, 1999, p.224.にも1890年に世界シェア8割という年表が付されているのでゴードンを信用できるかなと思います。

電動ミシンの開発

ミシンの動力開発もリズミカルでした。

まず1850年代に手廻式、次いで1860年代に足踏式、そして1870・1880年代に電動式の試作。

この流れのなか、シンガー社は1889年に初めて実用的な電動ミシンを発表します。

こうして、19世紀末には手廻式ミシン・足踏式ミシン・電動式ミシンがシンガー社の製品リストに並びます。

1921年にはモーター駆動モデルのポータブル・エレクトリック」ミシンを発表しました。

関連 19世紀型進化 1 : 動力の転換

ミシン史上の世界制覇

市民戦争の始まった1861年にシンガー社のヨーロッパでの売上はアメリカ内の販売額をすでに超えていました。

シンガー社は1870年にイングランドで販売・物流センターを設置し、19世紀末にかけて支店網を拡大しつづけます。

シンガー社ロンドン支店は、1880年代に中国、オーストラリア、フィリピン、ブラジルへ販売センターを設立しました。

多国籍企業の研究者マイラ・ウィルキンズは、国際的な同社販売システムが手に負えないほど拡大したと述べました。

このようにシンガー社は支店網を世界に広げ、1890年ころの世界市場占有率(シェア)は80%にも90%にも達したといわれています。

20世紀前半

鈍化しながらも続く膨張

1920年頃には南極大陸以外の5大陸のすべての地域に輸送ができる状態になりました。

関連 販売面からみたシンガー社の多国籍化

その後、1929年にアメリカ内のミシン総売上が減少。

この減少の理由には世界恐慌をあげられます。

他にも理由があって、ギャルソンヌ(フラッパー)たちが世界中に溢れ、良妻賢母という主婦の役割から脱却した解放ブームも考えられます。シンガー社が作ってきた裁縫女性のイメージ(良妻賢母像の一面)が崩れたわけです。

1933年に同社は「フェザーウェイト221」ミシンをシカゴ万国博覧会で発表しました。本機は30年以上にわたり生産されつづけました。今でもシンガー社の象徴的な機種として残っています。

家庭だけでなく工場にもマンスリー・ローン

アンドルー・ゴードンはよくシンガー社が家庭用ミシンを販売するためにマンスリー・ローン(月賦)を導入したと言っています。

しかし、とっくの昔からアメリカの研究者たちは家庭用に留まらない点を繰り返し指摘してきました。

私が20年近く取り組んできた裁縫業者の文書を英文と日本文で下に紹介します。文書なので固有名詞のわかるところはぼかせています。

これを読むと、業者にもマンスリー・ローンを導入していたことがわかります。かんなりゴードン怪しい。

シンガー社と裁縫業者との契約書(1914年ころ)。Singer Sewing Machine Co.’s contract with Japanese Sewing manufacture in 1911.

シンガー社と裁縫業者との契約書(1914年ころ)。Singer Sewing Machine Co.’s contract with Japanese Sewing manufacture in 1911.

第二次大戦期

1939年から1945年にかけて、シンガー社は軍需品生産に集中するためにミシンの開発を止めました。

20世紀後半

終戦直後の展開

戦後はヨーロッパ勢力を中心に、外国製ミシンがアメリカ市場に進出することになりました。戦前にアメリカ製ミシンが世界市場へ進出したことと反対の事態が展開するわけです。

競合他社にまみれながらシンガー社は、家庭用ミシンを中心に対抗していきます。

そして、1951年に600の縫製センターで約40万人の主婦を訓練しました。翌1952年には最初の家庭用ジグザグミシン「スラント・オー・マティック」を発表。

関連 家庭用ジグザグミシンをめぐる第二次大戦後の国際競争

コンピュータミシン

シンガー社は1975年に世界初の電子ミシン「アテナ2000」を発表。

1978年には世界初のコンピューター制御機器「タッチトロニック」を発売。

さらに1985年にはステッチパターンのモノグラムや刺繍向けに全く新しい最先端のミシンを発表。

21世紀のシンガー社

シンガー社は2001年に創立150周年を迎えました。

これを記念に、当時最も先進的な家庭用ミシンと刺繍ミシン「クウォンタムXL-5000」を発売しました。本機はパワフルでユーザーフレンドリーなシステムの1つです。

シンガー社の開発は続きます。

2005年に手頃な価格のコンピュータ対応刺繍機「Futura™」(フツラ)を発売。2007年に「インスピレーション・マシン」を導入。これは使いやすさと単純さを強調した新しいエントリーレベルのマシンです。

2010年に第2世代の「フツラ」ミシン刺繍機XL400を発売。

同社は2011年に特許初取得160周年を迎えました。

2015年に、現代的な機能と象徴的なボディデザインを備えた新しい機械ラインを発売。2017年には外出先で縫製支援をする世界初の縫製アシスタントアプリを発表しました。

関連リンク

多くの文献に依拠しましたが、ウェブでは同社の公式サイトを参照しました。
出典 https://www.singer.com/history

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